炬燵

冬の聖域、或いはダモクレスの剣

吾輩が主に寝起きするのは古い一軒家である。この家には吾輩のほかに、人間が3人寝起きしている。うち二人は番いで、のこりは彼らの子供であるようだ。この「子供」というのは単なる遺伝上の表現だ。実年齢は成人してずいぶんたつようだが、いまだに親元を離れておらん。猫族であれば親の怠慢というべき事態ではあるが、かれらはむしろ、子の同居を喜んでいるようだ。

子のほうはといえば自身のことを「こどおば」と呼んでいる。その意味するところは不明だが、その際の様子からして、必ずしも誇らしいものではないかもしれぬ。ここでは自称を尊重し、彼女のことを「こどおば嬢」と呼ばせていただこう。

こどおば嬢は、一般的に成人した大人が行うと期待される家事の類はほとんどしない。吾輩の身の回りの世話も同様だ。彼女は2階の一室に陣取り、机の上に置いたコンピューターの前に座っている。そこで仕事をしているのだという。さて具体的に何をしているのかといえば、あるときはディスプレイに向かって指差しながら、いち、にい、さんと数えていたり、マウスをうごかしながら会話とも独り言ともとれる話していたり、キーボードを叩いていたと思っていたらまったく動きがなくなったので覗いてみると寝ていたりと、そんなことだ。吾輩にはどこからどこまでが仕事なのかわからない。しかしこどおば嬢は、ことあらば仕事の苦言を呈しているので、余人にはわからぬ苦労があるのであろう。

かように猫基準では成人として未熟ともいえるこどおば嬢だが、どんな人間にも取柄はある。彼女も例外でない。夜間ともなると気温が急激に下がる11月のころ、真っ先に炬燵を出すのは、ほかならぬこのこどおば嬢なのである。

Source : NDL(日本風俗図絵

これを公言することは恥ではあるまい。吾輩は、いや我らが猫族は、炬燵を好いている。よもやここに炬燵を知らぬ読者はおるまいが、下学上達というからして、改めて説明するのが吾輩の義務であり責務でもあろう。

炬燵というものは、机の下に発熱体を置き、机の上に布団を被せることで熱源からの熱をその内にとどめる暖房器具である。人間がどのようにしてこれを使うかといえば、机の周りに座し、下半身を布団の中に入れることで暖をとる。これは何も日本のパテントではなく、イランなど床座の習慣があり、かつ寒い地域には同様の暖房器具があると聞く。

さてその起源はいかなるものか。15世紀の文献にて存在は確認されており、その語源は、室町時代(14世紀~16世紀)に禅院で、炉のまわりを囲うように設けたやぐらのことを火榻(かとう)と呼んだものとされている。これに対し、のちに火燵、炬燵の字があてられたという話だ。今日の熱源は電気ヒーターだが、当時の炬燵の熱源は炭であり、そして炭は比較的高価であった。したがって、炬燵が使えたのは寺や公家など、金銭的に余裕があったところであるはずだ。それが庶民に普及したのは、都市化が進み、陸路水路の運輸網が整備された江戸時代(17世紀~19世紀)のことだ。

おそらく我ら猫族は当初から炬燵に夢中であり、そしてそのことは人間の広く知るところであったと推測できる。でなければ17世紀の浮世絵に猫と炬燵との組み合わせが描かれることはなかろう。またかような背景がなければ、埼玉県の一部で炬燵のことを「ねこ」と呼ぶに至らなかったはずだ。

Source : NDL (絵本四季花 Illustrated by 喜多川歌麿)

猫族にとっての炬燵の魅力は何であろう? まず暖かい。ヒトの冬の熱的中性域は18~22℃であるのに対し、イエネコは30~35℃。そのうえ我らは同一の毛袋の中で通年を過ごす潔さを信条としておる。すなわち、暖かいというのは選択肢ではなく、およそ妥協をゆるされない絶対的な前提条件である。

次に、中に入れば閉鎖空間である。吾輩は閉所恐怖症の猫というものはとんとお目にかかったことはない。理由は明白だ。閉鎖空間は脅威から隠れうる場所である、或いはそうと機能すると信じるがゆえの心理的安全を担保できる場所であるからだ。これはもう本能といえるだろう。

最後に、ともすればこれが最も重要であるが、温度調節が容易である。なぜか。毛が体の一部にしかない人間は汗腺が全身にあるそうだが、我々には肉球と鼻にしかない。自らの体温調節手段が極めて限られるのであるがゆえに、環境により調節するほかない。複数の温度帯があることもまた前提条件なのである。

Source : NDL (百猫画譜 Illustrated by 立斎広重)

猫族の炬燵の使い方はこうだ。最も寒いときは中に入ればよい。これが基本である。しかし、ずっと入っていると暑く感じることもある。そのときは人間と同様に頭や上半身を布団から出せばよい。さらに暑く感じたときは完全に出て、ふかふかの布団の上で寝ればよい。熱源に炭を使っていた時代は天板がないので、猫族は炬燵の上で寝そべっていたようだ。現に、吾輩の偉大なる先達である名前のない猫氏も炬燵の上を好んでいる。これもまた良きは想像に難くない。

こどおば嬢は炬燵を出すと、半纏というぶ厚い上着を着こんで背中をまるめ、そこでコンピューターに向かい仕事をしている。炬燵に足を突っ込んでうつらうつらする時間は、机に向かっているときより長いようだ。仕事というからには期限があるのであろうが、はたしてこれで大丈夫なのだろうか。さらにいえば、炬燵に座りこんでいる時間は、机に向かっている時間よりはるかに長い。炬燵の外は、電気ヒーターで温められていない。外に出てしまうと寒いのだ。無理もない。結果として、猫族でいえば毛づくろいに相当するであろう身支度すら無精している。ご母堂は苦言を呈するが、こどおば嬢はいつも生返事だ。これでは彼女が番いをなすのは当分先のことだろう。

炭を燃やすときに酸素が不足すると不完全燃焼を起こし、一酸化炭素が発生する。炬燵の熱源に炭を使っていた時代、猫族のみならず人間も、一酸化炭素中毒を起こす事故がままあった。今日、猫族に対する危険といえばせいぜい、不用意に炬燵に足を突っ込んできた人間に蹴飛ばされる程度のものだ。しかし人間に対してはどうか。炬燵はたしかに冬の聖域でありまた同時に王座でもある。そして王座には、常に危険がつきものだ。それは今日、猫族に対するものではなく、人間に対するものであるに相違あるまい。


References